フラビオ=ブリアトーレ

かつてはイタリアで生命保険のセールスをしていたとも言われるフラビオ=ブリアトーレは、ベネトングループの総帥ルチアーノ=ベネトンの知己を得て北米における同社のマーケティングを任されて成功、その後1989年半ばにF1部門の責任者に任命される。
ヘビー・スモーカーの彼はマールボロを愛飲していたが、キャメルがチームのスポンサーだったため、キャメルの箱にマールボロを詰め替えて持ち歩くようになった。フラビオはF1界でも辣腕を振るい、1991年に新人ミハエル=シューマッハを強引に獲得してからというもの、ベネトンチームは一気にトップ争いに挑むチームへと変貌してゆく。
同じく辣腕で知られるマクラーレンチーム代表のロン=デニスとの確執は有名で、ある日ベネトンのピットから流れるロックミュージックの音がうるさいとデニスが文句を言ってきた。よし分かった、と応じたフラビオ。モーターホームに入るとアンプのボリュームを最大にしてきたという。
1993年、マクラーレンは長年のパートナーであった最強のホンダエンジンを失い、市販のフォードエンジンを買わざるを得ない状況に追い込まれた。しかし、市販型のエンジンの非力さは明らかで、同チームのアイルトン=セナはワークス待遇のエンジンを要求した。そして、フォードのワークスチームはベネトンだった。フォードとしても、ベネトンの承諾なしにセナを優遇することは出来なかった。
マクラーレンにワークスエンジンを渡すつもりはあるのか、とのジャーナリストの問いにフラビオ、
「昨年ロン=デニスは、我々にホンダエンジンを供給する申し出をしてきたが、我々にはフォードとの契約があったので、これを断った。」
そんな話があったのか、と思わせたその瞬間
「契約とはそういうものだ」
ニヤリとして、言ってのけるのであった。

Flavio Briatore (1950~)
F1ルノーチーム マネージングディレクター。

ベネトン物語―革新的企業哲学はなぜ生まれたか
ルチアーノ ベネトン Luciano Benetton 金子 宣子
ダイヤモンド社 (1992/10)

2006年09月22日 23:17
カテゴリー: 痛快エピソード

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