Clichés.net Blog - Nobutaka Mizuno's Diary
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子供の頃から汽車が大好きな筆者。時刻表を読んで育ち、成長するに連れ汽車旅がどんどんとエスカレートしてゆき、関門トンネルを通りたいがために、敗戦の色濃くなった厳戒態勢下の昭和19年に、軍公用優先の急行列車に乗り込んでの九州旅行まで敢行する。
本書を通じて伝わってくるのは、46も歳の離れた父・宮脇長吉への溢れる愛情である。国会議員を務め、寡黙でおっかない親父との距離が、激動の時代の中で急速に縮まってくる。そして、怖かった父を愛らしくさえ感じるようになってくる筆者の心境が、読者にも伝わってくる。
昭和20年8月14日、鉱山を視察してきた宮脇父子は山形の天童温泉に宿泊する。そして、翌朝。
宿の主人が、正午に天皇陛下の放送があるそうです、と伝えに来た。 「いったい何だろう?」と私が思わず言うと、 「わからん、いよいよ重大なことになるな」と父が言った。しかし、宿の主人が部屋を出ると、 「いいか、どんな放送であっても黙っているのだぞ」 と小声で言った。
乗り継ぎのため降りた米坂線の今泉駅前にラジオが置かれる。父は再び、
「いいか、どんな放送であっても黙っているのだぞ」と耳もとでささやき、私の腕をぐっと握った。
そして、正午の時報………
数度の改版を経ても売れ行きは芳しくなかったという本書だが、戦前戦中の貴重な証言として読んでおきたい一冊。
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