Clichés.net Blog - Nobutaka Mizuno's Diary
カテゴリー:Think, Think, Think
身近な知己から聞いた話。
勤務先に、人工透析を受けている方が働いていて、週3回、通院しなければならないのでその間は勤務を抜けることになるそうです。が、同じ会社の中にもこころない人というのはいるもので、「仕事を頻繁に抜けるくせに一人前の給料を貰っている」云々陰口を叩く一部社員が在るのだそうです。傍目にはゾッとする言葉ですが、そういう人種はきっと、透析を受ける人が受ける苦しみを想像したことがないのだろうし、そういう人種に口で何を言っても詮無いのでしょう。たぶん、社員総出でフルボッコにして二度と歩けない身体にしてあげれば、不自由になることの気持ちの一端を理解させることも出来るでしょうが。
そんなことを考えていて読んだ記事。
小学校の時に聞かされた、天国と地獄の違いについての宗教講話を時折思い出す。
「地獄には円卓があって、各人が食事を取っている。ただ、やたらと柄の長いフォークとナイフを持たされているので、思うように料理を取ることが出来ない。やがて、各人が肘の当たる当たらないで揉め事を起こし、果ては料理の取り合いをする騒ぎになった。
一方の天国にも、同じように円卓があり、やはり各人は柄の長いフォークとナイフを持たされている。ただ、ここの住民たちは、柄の長さを利用して、お互いの向かい側に座った人に食事を取り分けてあげている。そして皆がゆっくりと幸せに食事を取っていた。
このように、地獄と天国の見た目は大きく変わらない。他人を慈しむ心があるかどうかで天国は地獄にもなるし、その逆もまた然り……」
日本航空と全日空の社長同士の会話:
「なぜぼくのところは事故を起こすのだろう。なにか欠陥があったら教えてくれ」
といわれたことがあった。
「じゃあ一ついいましょう。大先輩のあなたにむかってだが、重役組織の構成に問題がある。世界中探したって、そんな航空会社はありませんよ。これだけ人命をあずかるいわば危険な仕事なのに、直接そこに結びつく技術系の重役さんがいなくて、事務屋さんばかりで計画をやるのは、非常によろしくない。」
そう申し上げた。
城山三郎・編 『「男の生き方」四十選 (上)』 文春文庫 より
驚くなかれ、教えを乞うているのは全日空の美土路昌一社長で、諭しているのはこ日本航空の松尾静麿社長である。逆ではない(1969年頃の話)。
朕深ク世界ノ大勢ト帝國ノ現状トニ鑑ミ非常ノ措置ヲ以テ時局ヲ収拾セムト欲シ茲ニ忠良ナル爾臣民ニ告ク
朕ハ帝國政府ヲシテ米英支蘇四國ニ對シ其ノ共同宣言ヲ受諾スル旨通告セシメタリ
抑ゝ帝國臣民ノ康寧ヲ圖リ萬邦共榮ノ樂ヲ偕ニスルハ皇祖皇宗ノ遺範ニシテ朕ノ拳々措カサル所
曩ニ米英二國ニ宣戰セル所以モ亦實ニ帝國ノ自存ト東亞ノ安定トヲ庶幾スルニ出テ他國ノ主權ヲ排シ領土ヲ侵スカ如キハ固ヨリ朕カ志ニアラス
然ルニ交戰已ニ四歳ヲ閲シ朕カ陸海將兵ノ勇戰朕カ百僚有司ノ勵精朕カ一億衆庶ノ奉公各ゝ最善ヲ盡セルニ拘ラス戰局必スシモ好轉セス世界ノ大勢亦我ニ利アラス
加之敵ハ新ニ殘虐ナル爆彈ヲ使用シテ頻ニ無幸ヲ殺傷シ慘害ノ及フ所眞ニ測ルヘカラサルニ至ル
而モ尚交戰ヲ繼續セムカ終ニ我カ民族ノ滅亡ヲ招來スルノミナラス延テ人類ノ文明ヲモ破却スヘシ
斯ノ如クムハ朕何ヲ以テカ億兆ノ赤子ヲ保シ皇祖皇宗ノ神靈ニ謝セムヤ
是レ朕カ帝國政府ヲシテ共同宣言ニ應セシムルニ至レル所以ナリ
朕ハ帝國ト共ニ終始東亞ノ解放ニ協力セル諸盟邦ニ對シ遺憾ノ意ヲ表セサルヲ得ス
帝國臣民ニシテ戰陣ニ死シ職域ニ殉シ非命ニ斃レタル者及其ノ遺族ニ想ヲ致セハ五内爲ニ裂ク且戰傷ヲ負ヒ災禍ヲ蒙リ家業ヲ失ヒタル者ノ厚生ニ至リテハ朕ノ深ク軫念スル所ナリ
惟フニ今後帝國ノ受クヘキ苦難ハ固ヨリ尋常ニアラス
爾臣民ノ衷情モ朕善ク之ヲ知ル然レトモ朕ハ時運ノ趨ク所堪ヘ難キヲ堪ヘ忍ヒ難キヲ忍ヒ以テ萬世ノ爲ニ太平ヲ開カムト欲ス
朕ハ茲ニ國體ヲ護持シ得テ忠良ナル爾臣民ノ赤誠ニ信倚シ常ニ爾臣民ト共ニ在リ
若シ夫レ情ノ激スル所濫ニ事端ヲ滋クシ或ハ同胞排擠互ニ時局ヲ亂リ爲ニ大道ヲ誤リ信義ヲ世界ニ失フカ如キハ朕最モ之ヲ戒ム
宜シク擧國一家子孫相傳ヘ確ク神州ノ不滅ヲ信シ任重クシテ道遠キヲ念ヒ總力ヲ將來ノ建設ニ傾ケ道義ヲ篤クシ志操ヲ鞏クシ誓テ國體ノ精華ヲ發揚シ世界ノ進運ニ後レサラムコトヲ期スヘシ
爾臣民其レ克ク朕カ意ヲ體セヨ
御 名 御 璽
昭和二十年八月十四日
20年前の8月12日。当時小学3年生だった僕は、翌日からの箱根旅行を控えてウキウキしていた。そんな中、テレビが突然ニュース特番に切り替わり、旅客機が消息を絶つとの報道が始まった。騒然とする日航本社の廊下が映し出され、何やら凄いことが起きたらしいということだけは、子供にも分かった。翌日、到着した富士屋ホテルのロビーに備え付けられたテレビの前には黒山の人だかりが出来ていた。墜落現場の上空映像が映し出され、操縦不能を繰り返す交信記録が読み上げられていた。「現在位置は名古屋まで72マイル。名古屋に着陸できるか」「羽田に帰りたい」「磁方位90度を維持せよ」「だが、現在操縦不能」「リクエスト・ポジション」「熊谷から25マイル西の地点です」「横田への着陸も可能になっています。意思を聞かせてください。」「……………」通常の4倍に達する揺れに翻弄された乗客、懸命の操縦を試みたコックピット・クルー、冷静に訓練通りの旅客対応を続けた客室乗務員…… 土砂降りのような報道が連日なされていたが、当時の僕は、飛行機が怖いというよりも、当たり前に暮らしている生活が、一瞬にして瓦解し引き裂かれることへの恐怖の方が大きく感じられていた。生まれて初めて飛行機に乗ったのは、それから2年半後、修学旅行で九州に行った時のこと。よりにもよって、往復とも事故機と同じ日航のB747-SRであった。以来、数え切れないほど飛行機に乗ってきたが、幸いにして一度も事故には遭っていない。自分が犠牲者になどなりたくはないが、不意に人生の最終ページがめくられることになった時、自分はどれだけその事実を受け入れることが出来るのだろうかと、考える時がある。