ひとの親1997.12.23.

きょう12月23日は、天皇陛下の64回目のお誕生日であった。異国の地にいても一般参賀の模様の一部はインターネットを通じて見ることが出来た。全く便利な世の中になったものだ。

ところで、これは日本にいた頃の話だが、筆者が「天皇陛下が~なさった」という表現を使ったところ、友達が「天皇や皇族にいちいち敬語を用いる必要があるのか」と言い出した。

皇室を尊敬するかどうか、あるいは国体(いわゆる天皇制)の是非については各人の持論があろうし、それについて口を挟む義理はないが、敬語が不要というのはどういうことだろう。こういう人たちは友達や知り合いの肉親に対しても、敬語を使わないということなのか。

先日、皇太子殿下の留学記を拝読していてとても印象的な表現があった。それは、天皇・皇后両陛下のことを「私の両親」と記されていたことだ。天皇陛下といっても、ひとの親なのだ。現人神でなく人間ならなおのこと、年長者に対する敬意が必要ではないか。皇族に敬語が不要だなどと言うのは、平等や民主主義の意味を曲解した屁理屈とでも言うしかあるまい。こういう手合いは、家庭でちゃんとした躾を受けていないのかと思ってしまう。

近年、日本では「自由」と「自分勝手」を取り違えたデタラメな論理が横行しているようだが、その一因には、このような、あたりまえのことを蔑ろにする教育の欠陥があるのではないかと思う。