第0話:長い間

「『絶対』という言葉を絶対に使ってはいけないということは承知している。でも、今回に限って言えば、僕が今後考えを変えるとは思えない。10年の間には二言三言他愛のない言葉を交わすかも知れないが、心から打ち解けることは出来ないだろうね。僕らの間に連帯感が生まれることは二度とないだろう。もう終わってしまったんだ。」

アイルトン・セナ(ブラジル人)


1998年6月、僕はすべての留学日程を終えて帰国の途についた。10カ月ぶりに成田空港に降り立ってみると、何気ない案内表示にすら日本語が表記されていることに、妙にホッとしたりしたものだ。

自宅に戻っても、何かしら落ち着かない。紛れもなく自分の家なのに、何となくすわりが悪いのだ。が、それも2、3日で収まった。久しぶりの日本円や左側通行を眼にするたびに、やはりここは自分の祖国なのだということを実感したものだ。
帰国して1週間も経ったある日、僕は大学に向かった。帰国後の手続きを済ませると、サークルの部室に寄ってみることにした。
およそ1年振りに見る面々は、変わっているようでもあり、また全然変わっていないようでもあった。彼らは目前に控えた発表会に向けて忙しそうであったが、僕の帰国を喜んでくれていた。

が、平穏な時はそう長くは続かなかった。ふと机を見ると、僕のビデオカメラが放置されていたのだった。
これには少々説明がいる。留学中はどうせ使わないからと、僕は自分のビデオカメラを、日頃世話になっていた長老部員のS氏に預けていた。が、それがどういう行きがかりでか、他の部員たちがそれを持ち出して自由勝手に使いまくっていたというわけだ。試みに過去の部誌を繙てみると、僕のカメラはずっと長いこと部室に放置されていたばかりではなく、部員たちが気ままに自宅に持ち帰ったりもしていたという。

もちろん、自由に使ったって構いはしない。問題は、どう扱われていたかだ。この日確認した限りでは、樹脂製の操作パネルがボロボロになっていた。本体にも無数の傷があった。また、端子はよほど乱暴に扱われていたのか、口径自体が拡がってしまっているものもあった。文字通り、マワされて穴はバコバコというわけだ。そして、カメラに取り付けられていた筈のストラップは誰かがもらっていってしまったのか、行方知れずになっていた。そして、この日も電源が入りっぱなしで放置されていた。誰も大事に扱っているようには見えなかった。小癪に障ったので、声を荒げて問いつめるとそこにいた全員がおろおろしてしまい、それを見かねたS氏が後に僕を捉えて、あまり声を荒げて冷たい空気をつくるのはよくないのではないかと諭してきた。
僕にとって印象的だったのは、S氏自身も僕の言っていることに共感してはいるが、それが正論であるが故に、それがそのまま伝わればもめ事の火種となりかねず、下手をすれば僕を悪者に仕立て上げる手合いが現れるやも知れぬということを、かなりハッキリと言い渡したことだった。

しかしなお、僕にしてみればS氏が監理してくれれば手荒に扱われることもあるまいと思って預けたのであって、部員たちがたらい回しに使って自宅に持ち帰るなどという事態は想像もしておらず、そもそも人のものを壊して誰も謝らない、それ以前に人のものを当然のように使っておきながらありがとうのアの字もない。僕の手許に残ったのはメチャメチャに壊されたビデオカメラだけ。Sさん貴方こんな状況が本当にまともだと思っているんですか、と言ったら氏は率直に自身の不明を詫び、機材の扱い方などについては今後注意を徹底するので、今回は自分に免じて許しては貰えぬかということだった。

しかし、口で言って直ることであればとっくに直っている筈であり、つまりはブスの子に美人になりなさいと言ってもそうはならないのと同じであって、長老の沽券にかえてもなおどうなるものでもあるまいと思ってはいたが、過去に何度も見せられてきたS氏の篤実さを前に、僕もひとまず矛を収めるにやぶさかではなかった。