第1章:とり残された想い

1995年2月15日、筆者は上智大学外国語学部の二次試験を受けた。この日のプログラムは下記のとおり。

10:00~11:00 小論文
11:00~11:30 ディクテーション
14:00~  面接

小論文のテーマは、「字幕や同時通訳の発達したこの時代にわざわざ貴重な青春期を費やしてまで外国語を学ぶ理由は何か」というもので、800字以内という制限はキツかったものの、ピッタリ800字目まで書き倒してやった。質より量で果たして成功するかどうか。 ディクテーションは、フランス人の先生が適当に雑誌のページをめくり、その場で範囲を決めて文を読み上げていた。これには驚いた。

11時半から2時間半の大休止である。ぼんやりと弁当を食べ、時が過ぎるのを待つ。
それにしても、と筆者は思った。圧倒的な女性の多さである。12年間男子校で暮らし、女性との接触はごく一面的な部分でしかあり得なかった筆者にとって、この光景は異常そのものであった。響き渡る黄色い声の狭間で、とり残された想いがする。
面接では何を聞かれるのだろう。そんな疑問が浮かんでは消える。緊張が高まる。心臓の早鐘が止まらない。

そして14時になった。が、すぐに順番は回って来ない。筆者のようなフランス語受験者や帰国子女は受験番号が遅いので、必然的に後回しにされるのだ。
時計が15時を刻んだ頃、筆者の番になった。面接室の中に入ると、何もない部屋には金髪の男性と短髪の日本人女性の姿があった。
後になって分かることだが、この金髪男性は、上智大学のフランス語学科長を務め、現代仏和辞典「Le Dico」製作にも携わった、ガブリエル=メランベルジェ氏であった。この人がよもや橘木氏、柿山氏と共に「勉強会」をしている張本人であろうとはこの時の筆者が知る由もない。そして、隣に座る女性が田中幸子といって、白井氏の旧知の友人だなどということも、後になって聞かされるまでは知りようがなかった。
つまり筆者は暁星をよく知る2人に囲まれるという、大変幸運な環境にいたのだが、それゆえの試練を課される羽目になる。

面接中の主なやりとりを記そう。

田中 :「M野クン(筆者)の出身校は…(やおら内申書を広げ)あっ暁星ね。」
メラン:「Oh! Gyosei!」

メランベルジェ氏は、「暁星」と聞いた瞬間から筆者にフランス語で質問を浴びせて来たのである。どうやら氏は、暁星の生徒は誰でもフランス語会話が出来ると思い込んでいるらしい。しかし、筆者にとってみればそれは、大迷惑というほかなかった。

メラン:「いつからフランス語やってるの?」
筆者 :「6歳の頃から、小学校で…」
メラン:「Oh!」(と、びっくらこいたというリアクションを見せる)
筆者 :「で、でもそれはほんのお遊びのようなもので…」
メラン:「じゃ、何回フランスに行ったことがあるの?」
筆者 :「2回だけですが…」

と、ウッカリチャッカリでフランス語会話を進めて行くうち煮詰まってきたので田中氏が日本語で切り出した。

田中 :「M野クンは上智ではこの学部のほかに…(と、内部資料を見つつ)法学部をふたつ*1受けてるのねェー。これじゃあもし法学部に受かったらこんなところ(フランス語学科)には来ないでしょー?」

彼女の口調と態度が、筆者を異常に腹立たせたのは言うまでもない。たとえ政治的手段であれ、筆者は他人に小馬鹿にされるのを善しとはしない。筆者は慶応、中央、早稲田の法学部を受け、若しくは受けるつもりだと述べたうえで、まず第一にやりたいのがフランス語の勉強であり、この意志が変わらぬ以上、受かればこのフランス語学科に来るつもりだと、半ばキレながら声を荒げた。筆者はふと我に返ると、いささかエキサイトし過ぎている自分に気づいた。2人を見ると、メランベルジェ氏は目がテンになっていて、田中氏はいじめる題材がなくなって言葉を失っているようでもあった。この後は尻すぼみな質問に終始した。

結果、筆者は面接官に刃向かうというタブーを犯しつつも、運よく合格することができたのであった。しかし、本当のおはなしは、ここから始まるのである…


【脚注】

1. 法律学科と国際関係法学科の2学科を指す。筆者は前者には合格したものの、後者は不合格だった。