第5話:もう一度

「いろんな意見がある中では、最後に決定する人を決めておかないと組織は動かない。学校では校長であり、それに従うのが民主主義だ。」

町村信孝(文部大臣)


R放送の人事異動は、主として1月、4月、そして7月にある。新たに東京支社へ赴任する方もいれば、広島の本社に戻られる方もいる。しかし、その中にH氏が含まれていようとは、予想だにしていなかった。それほどにH氏の存在は支社と同化していたし、そう思えるほど僕がH氏にどやされることが多かったとも言える。

異動が内示されてから初めてアルバイトに行くと、Kさんもやはりこの異動に驚きを隠せない様子で、
「Hさんが異動になっちゃうなんて、寂しいよねー。」
と泣く真似までしているほどだった。H氏は内勤ではあったが、異動が発令されてからは連日のように取引先へ挨拶に出かけていた。外は30度を超える猛暑だったが、しっかりと上着を身につけ外出するH氏を見ながら、僕はただ、何げない日常があっさりと変わってしまうことがあるという現実に今更のように驚き、また自分がいかに毎日を冗長に過ごしてきたかを思い知らされていた。
出会いがあれば、必ず別れはやってくる。それも唐突に。

ちょうどこの頃、懸案の人員補充に目処がつき、2名の1年生がアルバイトをしてくれることになった。半ば放り込まれるようにしてアルバイトをおっ始め、仕事を覚えていくまでにいろいろと難儀した僕としては、せめて後輩たちには同じ目には遭わせまいと考えていた。夏休みが始まる7月末ならば、授業のことを気にせずアルバイトに来られるし、仕事も覚えやすいだろう。欠員補充は1人だけでもよかったが、頭数は多いに越したことはあるまい。とりあえず、新人アルバイトのために研修をしなければならなかった。そして、夏休み中のスケジュールを互いに知らせなければシフトが組めなくなってしまうから、日程調整と顔合わせのために一度ミーティングを開くことにした。
そのことをKさんに話すと、
「あ、そうなんだ。サークルに部員が増えてよかったねー」
我がことのように喜んでくれたものだったが、研修についてくれないかと言ったら、
「私、初対面の人に接するのは苦手だから」
やんわり断られたものだった。
僕は当惑しつつも、以前に留学のことを話すKさんを思い出していた。
アメリカでは寮に入るんですか? と尋ねる僕に、
「ううん、一人暮らしするんだ。私、ほかの人と部屋をシェアしたりするのがイヤなの。だから絶対一人暮らしするの。」
彼女は妙に毅然とした口調で答えるのだった。僕にはこの台詞が少し意外に思えたが、傍目には物怖じしなさそうに見えたKさんも、人の知らぬところで気苦労をする場面が多かったのかも知れない。

ミーティング当日。1年生の研修日程と、夏休み中のシフトがつつがなく決められていった。先輩部員の中には、事前に「夏休み中は週に何度でもアルバイトをして小遣いを稼ぎたい」という旨をそれとなく言ってくる人もいたが、結局は僕が自分の意向を押し切る形になった。上級生優先で事を進めていくのは容易だが、そうすれば以前のように、欠員が生じるギリギリの段階で皆が慌てることになる。長い眼で見れば、今ここで下級生をしっかり育成しておいたほうが結局は皆のためになるというのが僕の考えだった。
いずれにせよ、アルバイトという、金が直接絡む話だけに慎重に事を運ばねばならなかった。僕は、ある種のエゴイズムを黙殺することに決めた。
チーフを務める僕に、Kさんは成り行き上いくらでも恩を売れる立場にはあったが、あくまでも僕を立てて
「私は留学に出発するまではヒマなので、皆さんの都合に合わせます」
と言ってくれていた。そして、7月の下旬にはサークルの反省会があったため、その日は出来ればKさんにアルバイトに入っていただきたいのですが、と要請すると、Kさんは快諾してくれ、
「サークル外の人がいるとこういう時に便利なんだねぇ。」
妙に安心したような口調が印象的だった。今にして思えば、ひとりだけポツンと取り残されたような寂しさを、Kさんはどこかで感じていたのかも知れない。僕としてはそんなつもりは毛頭なかったが、新入生を補充するということは、Kさん自身の立場を危うくするものと受け取っていたのかも知れぬ。いずれにせよ、彼女に余計な気を遣わせていたとすれば悔やんでも悔やみきれない。あの時のKさんの表情を思い出すたびに、僕は何ともやりきれない気持ちにさせられる。

ミーティングが終わり、Kさんは、白い編みサンダルを履いて部室を後にした。
「それじゃ、またね。」
「ええ、また。さよーなら。」

これが今生の別れになるなんて、誰が想像出来ただろうか。