第3話:そして今でも

「彼には何かがあった。それが何かは、口では言い表せないのだが。とにかく、何かがあった。そのやり方はプロに徹していて、すべてに対してきちょうめんだった。」
マルコム・グレン(メカニック)


何度か別項でアルバイトについて触れているが、高校でアルバイトが禁止されていた所為もあって、バイト先での出来事というものはどれも新鮮に思えた。
バイト先の会社は、内勤と外勤に分かれていて、外勤の方は殆どが営業である。ほぼ一日中外に出ているから、あまり会話を交わすこともないのだが、時折雑用を頼まれることもある。

ある日、S氏という営業の方が、紙袋を両手に下げて会社に帰ってきた。そして「学生くん」と、僕を呼び寄せた。S氏はアルバイトを呼ぶ時には決まってこう言うのだ。そして、持ってきたばかりの紙袋を開けながら、これを冷蔵庫に冷やしておいてくれと言うのであった。中身はビールだった。得意先から頂いてきたのであろう。
2ダースも貰って来るなんてすごいなーと思いながら、僕はせっせと冷蔵庫に詰め始めた。それが終わって報告すると、S氏はニコニコしながら、今度はこれをポストに出してきてくれ、といって葉書を差し出した。ビールのお礼状だった。

これぞ社会人、これぞ営業。S氏の鮮やかな早業に僕は瞠目するばかりだった。
ひょっとしたら、社会に出ればそんなことは当たり前なのかも知れないし、日頃、僕自身に気配りがないから驚いてしまうだけのことなのかも知れないが、S氏の存在が、僕の「営業マン」に対するありふれた考え方を一掃させてくれたことは間違いない。

後になって、S氏は営業部長になられたが、管理職にあってもなお、以前と同じようにあくせく働く姿を見て、部長ならもっと威張ってればいいのになーなんて僕は思ってしまう。しかし、その一方で、椅子にふんぞり返っているS氏の姿など、とうてい想像できないなーとも思ってしまうのだった。

お別れの挨拶もロクにできないまま僕は旅立ってしまったが、今でも時折、S部長の姿を思い出しては、毎日をフラフラ過ごしている自分に反省してみたりしている。