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ボランティアと個人主義(前編)1998.2.28

筆者がいま住んでいる町には、ふつうのアパートのほかに、トイレや風呂場、台所を共用して何人かで共同生活を営むコットと呼ばれる住居がある。先日、ベルギー人の友達に招かれ、あるコットで夕食を共にさせてもらったのだが、そこには車椅子の学生がいた。彼は上半身も完全には動かせないらしく、食事ひとつ取るのにも周囲の助けが必要のようだった。そこで筆者が感心したのは、誰がどう言うでもなく、ごく当たり前に彼の手助けをしていたことだ。後になって聞いた話では、彼が早朝の授業に出る場合は、自分たちの都合とは関係なく同じように早く起きて身支度を整えてあげるのだという。

別のある日、筆者は文学部の授業を聴講するために校舎を探していた。どうしても見あたらなかったので近くを通りかかった見ず知らずの学生に尋ねてみた。すると彼は筆者を目的の校舎まで案内してくれただけでなく、聴講の手続きをするための窓口の場所まで教えてくれたのであった。

冬休みにフランスを旅行した際のこと。手紙を出すべく田舎の町の郵便局で並んでいると、ちょうど筆者の目の前で窓口が閉められてしまった。昼休みを取るためらしい。こうした、にべもない対応はいかにもフランスらしい。仕方なく諦めようとすると、後ろに並んでいた人たちが「異国から来た若者にそんなに冷たい仕打ちもなかろう」と局員に詰め寄り、筆者だけは郵便を出すことが出来たのであった。

これら3つの話は、単なる親切と言えばそれまでかも知れないが、巷間言われるように、ヨーロッパでは個人主義が徹底しているにも関わらず、彼らはみな当然のような顔であった。
日本にいる頃筆者はよく個人主義という言葉を耳にしていたが、そういうことを標榜する輩に対して、言葉にならない嫌悪を感じていた。筆者はこれまでにも何度かヨーロッパを旅したことがあったが、そのような気持ちには一度もならなかったから尚更腑に落ちなかったのであった。

個人主義とは何だろう。その答えは、スーパーマーケットでお菓子を買ったときに教わった気がした。スポンジケーキが食べやすいよう、ひと口サイズに切り分けられており、"Gateaux individuels"(ガトー・アンディヴィデュエル)と書かれていたのである。ガトーとはお菓子の意、アンディヴィデュエルとは英語で言うインディヴィデュアルのことである。ここで気づいたのは、ほかのケーキが並んでいてはじめてインディヴィデュアルだということだ。もし、ケーキがひと切れだけで売られていたら、「小さなケーキ」とでも形容する筈だ。
つまり、彼らの「個人主義」には常に他人の存在があり、だからこそ障害者の友達の世話だってするし、困っている人がいれば、見ず知らずの人間だろうが、自分に出来ることをしてあげるのはごく当然のことなのだ。

これに対して、日本で言う「個人主義」とは何だろうか。ひとの言うことなすことにひたすら眼を伏せ耳を閉ざしているだけではなかろうか。他者との葛藤を避けるための、いわば方便にしかなっていない。それは結局、ご都合主義、利己主義、自分中心主義の言い替えでしかないのではないだろうか。筆者にはそんな気がしてならない。

 
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