「平等とは」2000.1.31.

筆者が大学で受講していた仏作文の授業では、毎回先生がテーマを決め、それに沿った自分の考えをフランス語でまとめなければならなかった。最後の授業でのテーマは、「パリテ」、すなわち政党は国会議員の立候補者を男女同数にするという法案に関わるものだった。この女性教師がいかにも好きそうなテーマだと思いつつ、筆者は以下のような文を書いた。

“私はこの法案に全く反対です。国民の代表者たる代議士は、性別ではなく個人の能力によって決められなければならない筈です。たとえば、我々が在籍する上智大学外国語学部フランス語学科は定員60名、そして毎年約50名近くを占めるのが女性ですが、もしもこの学科に同様の規則を導入したら、20名は問答無用で入学拒否ということになります。この時、彼女たちは何と言うでしょうか? きっとこう言う筈です。合否は性別ではなく個人の能力によって決められるべきだ、と。

世の中にはコーヒーが好きな人もいれば、紅茶の方が好きな人もいます。どちらも美味しい飲み物であることに変わりはありませんが、その優劣をにわかに判断することは出来ません。双方の立場が尊重されるべきではありませんか。例えば、行きつけの喫茶店がある日、「平等」の名の下に紅茶とコーヒーを半分ずつ混ぜた飲み物しか出さなくなり、「平等」の名の下にそれを飲み干さなければならないと言われたら、あなたはそれを受け入れますか?”

男性の立場から言うのはいかにも気障に聞こえるかも知れないが、男女平等をしきりに叫ぶ方々には、男女がおのずから違うものだということを受け入れて欲しいと願わずにいられない。巷間耳にする男女平等云々は、区別と差別をごっちゃにした議論だと思えてならない。