第5話:二人は恋人

「女はやさしい。とくに、かよわいもの、弱者にやさしい。正確に言えば、自分の目から見て弱者だと思われる者に対してやさしい。そしてその弱者を身体を張ってでも徹底的に保護しようとする。もちろん女は謙虚にも、一番の弱者は自分であると考えている。」

土屋賢二(大学教授)


11月にもなると、いよいよ寒くなってきて分厚いジャンパーが必需品になってくる。もっとも今年は歴史的な暖冬だとかで、例年は9月中に寒さが訪れるのだとか。
そんな中、B君が自分の恋人を披露してくれた。D嬢といい、ルーヴァン大学の文学部で哲学を専攻しているという。いつでも構内を2人してイチャイチャ歩いていて、傍から見ていると目に毒な光景でさえあるのだが、本人たちはどこ吹く風でアツアツなのである。

ある日、B君がL君と一緒に僕のアパートへ遊びに来て、日本や日本語についての講釈を頼まれた。彼らの質問は意表を突くものが多くてなかなか面白かった。曰くに、
「日本の若者が1人1台GSM(携帯電話)を持ち歩いているというのは本当か?」
「日本語の『キュウ』と『ココノツ』はいったいどう違うのか?」
「日本では家に上がるときに靴を脱ぐらしいが、ネクタイ締めて正装していても脱がなきゃいけないものなのか?」
僕としてはひとつひとつ解説するしかなかったが、彼らがどうしても合点のいかぬ顔をしていたのは、日本の特急・急行列車には付加料金がかかるということだった。ヨーロッパでは、TGVのような新幹線を除けば、鈍行だろうと特急だろうと料金は乗車運賃だけなのである。
目的地に早く着けるのだから、エクストラチャージがかかるのは当然じゃないかと僕は説明するのだが、彼らが言うには、新幹線は専用の高速路線を走るから仕方ないにしても、在来線は同じレールを走るのにどうして値段が変わるんだ、ということだった。この考え方は一理あると唸らされたものだが。

あれこれ話をしているうちにB君の恋愛話になった。てっきりノロけられるのかと思いきや、あまりに一途なD嬢に、B君は多少手を焼いてるようであった。曰く、B君がクラスメートの女の子と話しているだけで、D嬢は機嫌が悪くなるらしい。
「『女は世界中に君だけというわけじゃないんだから』ってなだめたんだけど、参っちまうよ。」B君は呆れ顔である。
L君の恋人V嬢は、同じ経営学部のクラスメートである。ショートカットでいつも眼鏡をかけており、いかにも切れ者という感じがする。激情型のL君には、こういうクールな女性が似合うのだなと思わせる。普段2人でいるときは、ベタベタせずにむしろ互いにツンツンしているのだが、それでいて2人の仲はうまくいっているのだから面白いものだ。それでも、L君がほかの女性と一緒に歩いていたりすると、それだけでV嬢はカンカンになることもあるらしい。

お前にもそういう経験はないのかとL君に訊かれたので僕は、自分に恋人はいないと答えた。しかし、僕が日本で経験したさまざまな出来事について率直に話してみることにした。
「ああした手合いはどうにも理解に苦しむ。」と言うとL君は、
「ああ、そりゃ嫉妬だよ。」と笑うのであった。
「話を聞いていると、ノブはどうやら日本でとても恵まれた環境にいたようだな。都心に住んでて、フランス語がそんなにペラペラで、おまけに交換留学生に選ばれたってんだから、それで妬まれない筈がないさ。ノブは気づいてないんだろうけど、女の嫉妬ってのは怖いんだぜ。」相変わらず早い口調でまくしたてるように喋る。
「そんなに単純なものかなぁ?」僕が呟くと、
「女なんて、そんなもんさ。」B君が口を挟んだ。
「いつだって、どこだってそうだよ。」

嫉妬。そんな単純な感情が、人間をあのような行動に駆り立てるものなのだろうか。僕は後に、彼らの予想がある程度以上当たっていることを知って愕然とすることにもなるのだが、それにしても、そんなことに気づかずにいた自分自身は何とまぁナイーヴだったのだろうか、いやはや。