第7話:なぜ…

「人は必ず死ぬという事実を突き付けられ、僕はそれを受け入れることが出来ていなかったんです。目の前で人が死ぬことを受け入れられない未成熟な人間では、ジャーナリストを続けることは出来ないだろうと自分に問いました。」

尾張正博(植木職人)


9月13日、きょうはアルバイトの日である。
いつものように階段を上る。もうあの時と同じ気持ちでこの階段を踏むことはないのだろう。それでも、一気に5階まで駆け上がっていく。

仕事はいつも通りだった。それが僕には奇異にさえ思えたが、どんな事件が起ころうが仕事は仕事。こういう時こそキッチリとこなさなければと自分を戒めた。
アルバイト同士の連絡に使っていたノートを開いてみる。Kさんはアルバイトを去る間際に、仕事についての注意事項を箇条書きにしていた。おしまいに曰く、
「こまかいことをダラダラ書きましたが、私も来週で最後のバイトになるので、遺言と思って下さい。」
本当に遺言になってしまったのだ。一体、何をどう形容すればいいのだろう。

電話が鳴る。
「ブロードキャスターと申しますが…」
テレビ局のワイドショー番組の記者を名乗る男。かねての申し合わせ通り、業務部長に電話を取り次いでもらったが、
「またか。」
うんざりした表情を浮かべていた。電話の向こうはどうやら、Kさんの私生活についての質問を繰り出していると見え、
「そう言われましても、会社はアルバイト学生の勤務時間外の行動まで知りませんから……」
今にも怒りだしそうな部長の低い声が支社中に響いていた。この日までにも、ジャーナリストやライターを名乗る人間がわらわらと支社を訪ねて来ており、時にはニヤケた表情さえ浮かべてやって来る者までいて、ある若手社員があやうく張り倒しそうになったとか。

夕方になって、部長がやおら近づいてきて、
「警察の方が見えているので、事情聴取を受けてくれないか。」
云ってきた。
「まだ勤務時間ですし、仕事が一段落つくまで待っていただけないでしょうか。」
僕が応じると、社員の一人が、
「お、水野くん仕事の鬼ね。」
ジョークとも称賛ともつかぬことを言ってくれたものだった。支社中の誰もが、この薄暗い空気を振り払おうと必死だった。
かつて、何かの本で「刑事は必ず二人一組で行動する」と読んだことがあったが、果たして会社の応接間で僕を待っていたのは二人組の刑事だった。事情聴取の内容をここで詳らかにすることは控えるが、彼らが紛れもなく犯罪捜査のプロであることは確かだったし、真相究明への断固たる姿勢はひしひしと感じられた。聴取は30分以上にも及び、後に社員の方々を心配させたものだったが、このアルバイトでKさんとの接点が一番多い学生はほかならぬこの僕なのだから、甘んじて受け入れた。おしまいになって、刑事は明日のお通夜と、明後日の葬儀の日時と地図が書かれた紙片をくれた。

仕事に戻る。Kさんはやっぱり死んだんだという実感が繰り返しこみ上げてくる。もう一度ノートを見返してみる。言葉にならない気持ちだけが膨らんでいく。
18時半になり会社を出た。いつもと同じように、中央通りを歩いて帰路につく。

以前よりはぐっと早く暮れるようになった太陽が、まだほのかに銀座の街を照らしていた。